木喰上人と虚空蔵菩薩像– 下諏訪町指定文化財 –

MOKUJIKI BUDDHA

木喰上人と虚空蔵菩薩像

下諏訪町指定文化財


木喰上人は、下諏訪へは5回訪れていますが、この像は4回目89歳、文化3年(1806)の作です。もとは、木喰上人が宿場を訪れる度にお世話をした宿場の商人東屋終治に与えられたもので、終治が宿場を去るとき、そこで働いていた花屋の先祖小松茂八がもらい受けたものと思われます。

MOKUJIKI BUDDHA

木喰上人と
虚空蔵菩薩像

下諏訪町指定文化財


木喰上人は、下諏訪へは5回訪れていますが、この像は4回目89歳、文化3年(1806)の作です。もとは、木喰上人が宿場を訪れる度にお世話をした宿場の商人東屋終治に与えられたもので、終治が宿場を去るとき、そこで働いていた花屋の先祖小松茂八がもらい受けたものと思われます。

木喰上人について

 享保3年、山梨県見延町丸畑で生まれ、14歳で故郷を出て江戸へ。22歳の時、神奈川県大山不動尊に参籠りし、真言宗の僧侶から教えを受け仏門に入りました。45歳のとき、茨城県羅漢寺住職木喰観海上人より「木喰戒」を受け、僧名を「行道」とし、安永2年(1773)日本廻国を発願、遍歴の旅を始めました。
 安永7年(1778)北海道江差に渡り初期の造像を残し、その後佐渡を経て九州に渡り、約10年間日向(宮崎県)国分寺の住職となりました。
 寛政9年(1797)より再び遍歴を始め「五行菩薩」と称し、文化7年(1810)甲府教安寺で彫像後は消息を絶ちました。丸畑の伊藤家位牌からは、文化7年(1810)に没したと推測されます。


木喰仏の特徴

 長い修行の上に、自ら「菩薩」と称するまでに深めた精神を持って、自ら取得した技法で彫像に励みました。伝統的な仏像形式にとらわれない自由な彫像、心のおもむくままに彫り上げた仏像は、華やかさはないが、味わいは純朴で理屈抜きの感動を呼び起こします。
 木喰仏は微笑仏と言われるように、晩年に作られたものは全ての作品、えんま様まで「微笑」を浮かべる姿に彫り上げています。

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